母親いわく、私は小さかった頃とてもひょうきんだったらしい。
それは、親戚や祖母に聞いても同じことを言う。
自分ではひょうきんな一面があると自覚しているものの、他人に対してひょうきんであった記憶は全くなく、相当小さい頃だったのだろうと思う。
気が付いたら、人見知りでコミュ症気味のぶっきらぼうな自分が完成していた。
時はだいぶ流れ、数年前から母親が認知症になり、言葉を喋ることが出来なくなってしまった。
症状の進行速度が速く、普通に歩けてたのが段々と歩けなくなり、今ではトイレに行くにも介護が必要になった。
家族で一番おしゃべりで元気で明るかった頃の母親はもういない。
ただ、私にとって何よりも嬉しいのは、そんな状態になった母親が今もとてもよく笑ってくれるという事。
言葉による会話は全くできなくなったものの、私が少しおどけてみたり、志村けんのような面白い動きをすると、母は赤ちゃんのように無邪気に笑ってくれる。
嬉しい。
もしかしたら、小さい頃の私はお母さんを笑わせたくてひょうきんだったのかもしれない。